毎年9月23日に、新ひだか町(旧静内町)にある真歌の丘(真歌公園)にアイヌの人たちが集まり、伝統行事や供養祭が行われています。
平成18年(2006)まで、日高支庁管内に設置されていた静内町は、三石町との合併で日高郡新ひだか町静内となっています。

静内は、北海道の内陸が開ける明治中期までは、道東に行く沿岸の道筋で、東の文化と西の文化の接点でした。
この接点に静内川が流れています。国道235号線で、この川の静内橋を渡り、すぐ左折して坂を登っていくとアイヌの英傑シャクシャイン像とシャクシャイン記念館が見えてきます。

1669年(寛文9年)、ここにシャクシャインの砦があったところで、アイヌ民族と江戸幕府までも巻き込んだ和人の壮絶な争いの発端は、この静内川であり結末も静内橋で終わりました。

シャクシャインについては、小説や童話、紙芝居や漫画などもあります。
20冊ほど読んでみましたが、読めば読むほど分からないことだらけです。アイヌには文字がないため、史実が残されておりません。松前藩が残したものは、蝦夷地を閉ざして秘密にしていたため信ぴょう性がないのです。
そのため、作者はアイヌの人たちに伝説を聞いたり、創造力をつなぎ合わせて物語にしているのです。

疑問に感じることがあり、静内から長万部までの各資料館や教育委員会、学芸員を訪ねてみました。
それは、アイヌ民族と松前藩の戦いがあった「長万部の国縫」までの軍団行進です。静内から距離にして約228キロになりますが、シャクシャインがいたという気配を感じないのです。
調べ始めてから5年近くたち、ようやく一つ核心に近いものが見えてきました。それは、戦いの火ぶたが切られた「場所」がどこだったのかで話の展開が変わってくると思えました。更に、この事件の真相には和人(江戸の浪人=鷹待)が裏で糸を引いていたのではと思えてなりませんでした。

写真はシャクシャインの像ですが、今は同じ公園の敷地内に新像が立てられています。私はこの像の方が良く表現されていると思います。