武田信広(松前藩開祖)

コシャマインの戦いで、アイヌ総大将の首を討ち取った花沢館主蛎崎季繁の客将武田信広は蝦夷地における地位を決定的なものとしました。
花沢館主の蛎崎氏養女(茂別館主下国の娘)と結婚。家督を相続し蛎崎信広と名乗ります。

洲崎館跡

また、戦乱を逃れて上ノ国に集住してきた人々を抱えて、新たに天ノ川の北側に州崎館、ついで花沢館の西側に勝山館を築きました。

勝山館(1462年築城)の跡地が残っており、国指定史跡となっています。
勝山館がある上ノ国町は渡島半島南部の日本海に面しており、車で北に10分ほど走ると江差町です。

上ノ国町は日本海に注ぐ天ノ川河口に近く、南北にのびる台地となっており標高159mの夷王山(いおうざん)があり、町内から国道228号線を南に下ると「道の駅もんじゅ」が右手に見えてきます。
この手前を左折し500mほど山の中腹まで上ると後は歩いて山頂まで登ることが出来ます。
山頂には鳥居があり武田信広を祀る「夷王山神社」があり、山頂から眺めると勝山館というのは、夷王山の地形を良く利用した館であることが分かります。三段構えの要塞となっており、堅牢無比の山城です。
 
武田信広は勝山館に八幡宮を建立し、1494年に勝山館にて64歳で亡くなりました。