豊浦町の礼文華は蝦夷のころも難所といわれていました。
昭和3年、静狩駅~伊達紋別駅間に長輪線が開通しました。
昭和6年6月5日、与謝野鉄幹・晶子夫妻が車窓から海岸の景色を眺めて随筆を書いています。
この海岸を斉藤茂吉、伊藤整なども訪れ、今は文学碑公園となり歌碑や随筆碑が建てられています。
現在、JR室蘭本線はトンネルが続き車窓では見ることが出来ません。
難所といわれる所は開発が進まないということを意味しています。日本海沿岸はトンネルが増えたため絶景を拝めなくなってきております。
噴火湾の一番奥に、車では行くことができる絶景場所がありました。
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