昭和18年に斜里町と小清水町から分村して上斜里村となり、昭和30年清里と改称し町となりました。清らかな里という意味と、母村への敬意をこめて小清水・斜里から一文字ずつもらったものです。
知床半島のつけ根に位置し、斜里川・ウエンベツ川沿いの肥沃な平坦地が大部分で基幹産業は農業、ビート・ジャガイモなど畑作が作付面積の90%を占めています。EUを凌駕するわが国有数の大規模畑作農業地帯。
日本百名山の一つ「斜里岳」や「神の子池」、神秘の湖「裏摩周湖」、「さくらの滝」などの大自然に囲まれ、環境に配慮した町づくりを行っています。
これらの景観は、平成3年度に農林水産省が実施した全国農村景観百選(特選20選)に選ばれています。
町の西側は小清水町と接し、JR釧網線が町中を縦断しています。斜里町のしれとこ斜里駅を南下し、清里町駅・札弦駅(さっつる)・緑駅と3駅あります。
更に、鉄路に並行して道道1115号が通っており、道の駅パスパスランドさっつるはJR札弦駅と同じエリアになります。
この札弦のエリアに蝦夷の時代にアイヌの人たちが住んでいました。
松前藩の場所請負制度の虐待に遭い、札弦チャシ跡を残すのみとなりました。
明治30年、岩手県人の塚本という人が現在の小清水町の野川駅逓所を辞めて札弦に入植します。これが清里における和人移住の始まりでした。
明治41年、現在の清里市街地に鈴木農場ができて、翌年に野川~上斜里に道路が開通し集団移住が相次ぎました。
大正13年ころから、乳牛の飼育頭数も増え、昭和9年斜里営林署を設置し森林鉄道を敷設、林業が盛んになります。
軌道は戦後撤去され勢いは失いましたが、森林面積は町の76%を占めています。
清里町は、平成14年度に北海道主催の北のまちづくり賞で知事賞、
平成15年度には全国花のまちづくり大賞(農林水産大臣賞)、平成18年度に過疎地域自立優良事例表彰で総務大臣賞、平成19年緑化推進運動功労者内閣総理大臣表彰に輝くなど、大自然をバックグランドとした地域づくりが全町民参加で展開されています。