えべつ地名の由来は、アイヌ語のエペツ(胆汁のように濁った川)、ユベオツ(チョウザメのいる川)、イプツ(大事な入り口)など諸説あります。

江別市の市街地、北東部の対雁は文政年間(1818年~)から上対雁として石狩13場所の一つとなり幕末には番屋が置かれていました。

屯田兵舎

明治4年、宮城県からやってきた21戸76人の農民が最初の移住者でした。

明治11年、岩手県から12戸が元江別に、江別太に10戸56人が移住し江別村が誕生。その後も屯田兵の入地は続きます。

 

 

 

関矢孫左衛門

明治19年、新潟出身者で組織された北越植民社が江別太で開拓を始めましたが、初代指導者大橋一蔵の急死により、第一回衆議院議員の地位を辞して関矢孫左衛門が二代目指導者となり、事業を野幌にも広げ稲作にも成功します。

現在もその業績をしのび、住居跡が千古園として公園になっています。
(トップ写真は千古園公園)

江別のレンガの歴史は、明治24年に江別太で生産がはじまりました。

明治31年に北炭により野幌に煉瓦製造所が創設され、野幌レンガの名で知られることになります。野幌地区の窯業製品(特に煉瓦)の製造は国内屈指の生産量を誇ります。

明治41年、北海道最初の製紙工場「富士製紙株式会社(現:王子特殊紙)」が操業を開始。

町村農場は、エドウィン・ダンに学んだ福井県出身町村金弥の長男で、明治15年真駒内種畜場で生まれた敬貴が米国留学から帰国後開いた農場です。
樽川(現在の石狩市)を皮切りに対雁を経て、現在篠津に移転しています。

石狩振興局で人口12万人と札幌に次ぐ町。札幌中心部まで車で約40分、JR野幌駅から札幌駅まで20分と便利でベッドタウンとして成長してきました。