道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

静内町 1965年(昭和40年) 28分 白黒 音声あり  

静内町の市街地と静内川を上空からとらえ、ナレーションは、「この地はアイヌ民族が多く住んでいた村でした」とはじまります。静内川の上流は日高山脈です。

町の中心となる産業はサラブレットの育成で、農家の半数は馬にかかわっていました。特徴的なのは、馬の放牧は山の中にまで至っていることです。
東洋一の軽種馬センターは昭和39年に完成しました。
馬の競市風景の映像が長く続きます。中々お目にかかることはありません。
104頭がセリにかかり、49頭が落札され、最高額は409万円でした。

農家は馬産だけではなく、牛や鶏などと多角経営を進めており家畜センターを設けています。
人気は牛で牧場を訪れる観光客もおります。昭和36年に雪印乳業の静内工場ができて、牛を飼う農家から毎日絞る牛乳を40t集荷しチーズに加工しています。
従って、酪農は日高の大きな原動力となっています。

八割が森林地帯の静内
合板・ベニヤを生産する合板工場が発展しています。
特に、合板は全国一位を誇っており、苫小牧から船でアメリカなど海外に輸出しています。また、良質のナラ材からチップとなり苫小牧製紙工場に運ばれます。
今は、見ることは珍しくなりましたが「オガタン工場」の生産ラインも写されています。
木材を生かして「スキー」の生産工場もあります。合板技術を生かしていると思えますが、加工されて80%がアメリカやヨーロッパへ輸出しています。

静内ダムと春別ダム
静内ダムと春別ダムが紹介されています。
春別ダムは昭和36年よりダム・発電所が着工されました。一方、静内ダムは静内川本流上流部に建設されるダムで、日高地域の河川群を利用した大規模電力開発計画です。翌年昭和41年完成予定。
ダムによって形成された人造湖は現在静内調整池と呼ばれています。

真歌公園から 
静内川と静内の市街が写されています。

1669年、この地に住むシブチャリアイヌとハエアイヌとの抗争に端を発して、松前藩支配による収奪の強化から「シャクシャインの戦い」が起こりました。
蝦夷の時代に松前藩とアイヌ民族との大きな戦い3回ありますが、この蜂起は全蝦夷を巻き込んだ戦いでした。
最終的には松前藩のだまし討ちで鎮圧され、これを契機としてアイヌ民族の支配は一段と強化されることになりました。

新冠種畜牧場と龍雲閣
「龍雲閣」は明治42年、皇族方や要人を迎えるために建築された貴賓舎で、静内町にあります。
新冠種畜牧場は御料牧場として、宮中御料馬の生産や北海道産馬の改良に従事していたため静内の歴史を語るうえで欠かすことができません。
龍雲閣の建物は見ることができますが、中を見ることができるのは「二十間道路の桜並木まつり」に公開している程度です。建物内には狩野探幽の絵屏風や皇族方ゆかりの品々が所蔵・展示されています。これらが写されています。

静内神社祭り
当時の静内町役場や商店街が写されているので懐かしく思う人がいるでしょう。

静内図書館と郷土資料館
昭和40年4月に完成しました。静内の歴史が保存されています。

公営住宅
公営で300戸の住宅が完成し、新しい都市へ向けて街づくりが進んでいます。

補足
平成18年、 静内郡静内町と三石郡三石町の合体で新ひだか町となりました。

新ひだか町静内に映画「北の零年」や小説・ドラマで知られる「お登勢」の稲田家臣団が上陸した場所に碑が建てられています。「稲田騒動」とは、江戸時代の徳島藩は四国の本家と淡路島の分家という立場でした。第一陣は明治4年5月2日に静内沖に到着。稲田家旧家臣546人が静内に上陸。これが現在の静内開拓のはじまりとなります。

写真は現在の静内町を真歌公園から写したものです