福山線-後の松前線

江差線の木古内から分岐し、渡島地方の南西端松前に至る50.8キロの地方線です。

1912年(大正元年)には鉄道院による実測が行われ、、福島など7カ町村による請願・陳情が行われたものの敷設はなかなか進みませんでした。大正11年、ようやく請願が採択され、木古内線、江差線、福山線についても線路選定が完了次第着工と決定しました。

ところが、木古内線が遅れて工事着工は昭和2年で竣工が昭和5年10月でした。木古内線の開通で、その延長となる江差線、福山線が活発になると思っていましたが、昭和5年は昭和大恐慌、翌6年9月には満州事変が起こります。
予想どおり、福山線は三か年繰り延べの昭和9年着工し、昭和16年度の完成となりました。しかし、昭和7年、更に着手が一年延期となります。
これに対して、関係町村長が猛烈な陳情運動となりました。運動の結果昭和11年測量、線路選定完了にともな敷設工事が開始されました。
不運なことに、日中戦争、太平洋戦争で資材が不足と統制法で工事は進みませんでした。渡島吉岡-松前までは昭和18年12月にはほぼ完成していましたが使用開始にはなりませんでした。そうして、終戦を迎えます。

戦後、昭和21年12月に渡島吉岡ー渡島大沢間6.5キロが開業。福山線最後の区間の渡島大沢ー松前間5.6キロが開業したのは昭和28年11月でした。
大正12年に予定線に編入されてから30年、住民運動が起きてから43年の開業は鉄道の歴史でも珍しいことといいます。
福山線の全線開通で松前線と改称されました。

これだけ大変な思いで敷設されちた松前線でしたが、並行する国道228号の整備が進むと貨客とも輸送量が減少し、貨物輸送は1982年(昭和57年)に全廃されました。1980年(昭和55年)の国鉄再建法施行により、1982年(昭和57年)11月に第2次特定地方交通線に選定され、1988年(昭和63年)2月に廃止となりバス路線へ転換されました。