白糠線(しらぬかせん)

根室本線の白糠を起点として茶路川沿いに北上し、茶路原野、右股を経て十勝のたいし池北線(後のふるさと銀河線)の足寄を終点とした計画線で、そのうちの、白糠ー北進間33.1キロの区間をいいます。

大正14年、甜菜作付け促進の理由で請願したのが始まりで、何度か運動を展開しましたが実現の見通しはありませんでした。
ところが昭和28年、石炭と森林開発を目的として昭和31年2月には調査線に昇格。翌昭和32年4月に工事線となり、昭和33年6月に白糠ー上茶路間25.3キロに着手、昭和38年11月に完成しました。昭和39年4月に鉄道建設公団に引き継がれ、公団では付帯施設を施工し、昭和39年10月に営業を開始しました。

次いで、延長工事線の上茶路ー北進間7.9キロは昭和41年7月から着手、昭和43年11月に完成。しかし、営業開始は昭和47年9月と4年間の空白がありました。

白糠線は、昭和39年に出炭を開始した雄別炭砿上茶路鉱の石炭輸送に利用されるはずでした。しかし、昭和45年に上茶路鉱は閉山となり、貨物の取り扱いは中止し、旅客だけの取り扱いで開業時から苦戦を強いられました。

1980年(昭和55年)の日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行を受け、特定地方交通線廃止の第1号として、1983年(昭和58年)10月23日に廃止されました。