渡島海岸鉄道(おしまかいがんてつどう)

茅部郡森町から砂原村(のちの砂原町、現・森町)にかけての沿岸で漁獲される海産物と一般旅客・貨物の輸送を目的にした地方鉄道です。

森駅ー新川停留所ー東森駅ー尾白内(おしろない)駅ー尾白内学校裏停留所押出(おしだし)停留所ー掛澗(かかりま)駅ー東掛澗停留所ー度杭崎停(どくいざき)留所ー砂原駅        は茅部郡森町  は茅部郡砂原村

渡島東海岸地帯は漁獲は四季を通して絶えることがありませんでしたが、交通の施設が乏しくせっかくの漁獲物も魚肥として移出される有様でした。
大正9年に全国初となる本格的な冷凍工場が操業したのは、交通問題があったからでした。

大正14年、森町ー佐原村間9.4キロの地方鉄道が出願され、翌年の2月に認可となり渡島海岸鉄道㈱が設立されました。
工事は昭和2年4月から始められ佐原ー東森間8.3キロは12月、東森ー森間1.1キロは昭和3年9月に完成。
1日4往復の客貨混合列車が運行され、所要時間は32分でした。

森町東部一帯には大小の水産工場が多かったのですが、開通後には缶詰工場や魚油工場が多く建設されるなど、水産加工業が大いに発展しました。

しかし、第二次世界大戦から軍需輸送の整備が急務となり、急勾配がネックであった軍川駅 – 森駅間を迂回する「砂原線」(函館本線支線)の敷設が計画されました。それと並行する渡島海岸鉄道は買収され、1945年1月25日に廃止となります。

買収による廃線でしたが、すべてが国鉄線になったわけではなく、渡島海岸鉄道は尾白内 – 掛澗間からは現在の国道278号とおおよそ同じルートをたどっていたのに対し、国鉄砂原線は北海道駒ヶ岳の裾野を少しずつ登るルートをとります。

これは渡島海岸鉄道が森と砂原の集落を結ぶ目的で敷設され、一方の砂原線は急勾配の緩和による輸送力増強を目的としていたためでした。
そういった理由で掛澗駅と砂原駅は函館本線の掛澗駅・渡島砂原駅とは別の駅です。また尾白内駅は同一ルート上ではあったものの、函館本線尾白内駅よりも300mほど西(森駅側)にありました。