標津線の計根別駅と、標津川に沿って北西に上った養老牛(ようろううし)を結んだ植民軌道でした。
中標津原野の養老牛に移住者が入植したのは昭和4年ですが、3年後の昭和6年には低温、多雨、霜で凶作となり、離農が相次ぎます。
翌年も同じ経路をたどったことから、馬鈴薯などの耐冷作物の作付けとともに、酪農への転換が図られました。

このため、牛乳と澱粉用の馬鈴薯輸送の植民軌道が計画され、計根別48線北7号ー養老牛52線北5号間の11.1キロが、昭和13年7月に完成。馬力の使用で開始となりました。

戦後、昭和25年の輸送実績が少なく、軌道補助金交付が中止となり昭和35年廃止となりました。