仁宇布線(にうぷせん)

宗谷本線の美深駅とニウブ川上流域の仁宇布を結ぶ植民軌道です。
仁宇布は美深から20キロ余りのところにある集落で、その奥地は豊富な森林地帯で早くから開発が望まれていました。

昭和8年、敷設が決定し8月に実地測量が行われました。
その結果、美深線美深ー仁宇布25線間の21.3キロの軌道敷設が決定。工事は早くも11月には仁宇布7線までの路盤が完成。翌9年11月には残る仁宇布25線までの工事が完了。

昭和10年4月に使用開始で動力は馬力。請願から2年余りで使用開始は例がなく、住民の熱心さ故といわれています。
交通が便利になったことで木材搬出も盛んになり、仁宇布地区も一挙に活気づきます。

昭和17年3月、植民軌道から「森林軌道」として利用されることになり、所管が道庁拓殖部から道庁林務部に移りました。仁宇布地区の松材が木製飛行機の用材に用いられたのです。そのため馬力を廃止して、ガソリン機関車による牽引が行われることとなりました。

昭和25年以降は奥地の支線を新たに3線敷設し、戦後復興のために木材需要増加のために輸送しましたが、昭和31年に労働基準監督署から停止命令を受けました。
元々馬力での植民軌道でしたから路盤や軌条も脆弱でした。
軌条も1メートルにつき9キロという軽量で、木材輸送に耐えられるものではありませんでした。こうして廃止されることになりましたが、仁宇布地区にとっては唯一の交通機関でしたから、美深町による簡易軌道としての存続を請願。
昭和32年4月から、町営軌道としての運行が開始されました。

このころ宗谷本線の美深と興浜北線の北見枝幸を結ぶ美幸線の建設が決定し、昭和32年7月には着工記念式典が行われます。美幸線は町営軌道と競合する箇所も多く、美幸線が開通する2年前の昭和37年の秋に運行を中止し、翌年3月に廃業となりました。
夏期間だけの運行でしたが、28年間にわたって地域開発に与えた影響は大きかったといえます。

写真は、廃線を活用して観光「仁宇布トロッコ王国」をNPOで運営しています