札幌軌道

札幌市に存在した馬車鉄道を起源とした軌道事業者です。
明治41年2月、札幌区北7条東1丁目から篠路村茨戸に至る馬車鉄道敷設が、石狩町生振(おやふる)村の村議鳥羽熊三郎らによって出願。

篠路、花畔(ばんなぐろう)や前田農場で栽培された亜麻を帝国製麻会社札幌工場への輸送や、沿線農家の農産物輸送、札幌と石狩川水運を結ぶために馬車鉄道で、明治42年12月に特許許可が下りました。

明治43年6月に札北馬車軌道㈱を設立し、社長に安達力三郎を選任、敷設工事に取り掛かりました。
工事は、北7条東1丁目ー前田農場間10.1キロが単線で明治44年6月に完成し客馬車5両、貨車20両で営業を開始。
翌年9月には前田農場前ー茨戸太間0.7キロを延長し、明治45年1月に社名を札幌軌道㈱に改めました。

のちに馬力からガソリン動力に転換して運行されていましたが、1934年(昭和9年)に国鉄札沼南線(後の札沼線)の開通で競合したため、鉄道省から損失補償を受けて、1935年(昭和10年)に営業を廃止。
その後はバス会社として運営されていましたが、北海道における旅客自動車運輸事業統合要綱(いわゆる戦時統合)により北海道中央乗合自動車(後の北海道中央バス)へ統合されて、会社を解散。

札幌駅 – 東皐園前駅 – 北十四条駅 – 興農園前駅 – 第三農園駅 – 新琴似駅 –
製線所前駅 – 北農園駅 – 一番通駅(←中島駅) – 二番通駅 – 三番通駅 – 篠路駅 – 横新道駅 – 前田農場前駅 – 茨戸(ばらと)駅 – 川端駅

写真は帝国製麻㈱札幌工場です。この工場跡はボーリング場となり、現在は別の事業としてあります。