萬字軽便線は岩見沢市の室蘭本線志文駅から東へ敷設された鉄路です。
旧空知郡栗沢町の萬字炭山駅までの23.8km(6駅)を結んでいました。1985年(昭和60年)に全線廃止となっています。

鉄路を調べると町の歴史が良くわかります。鉄路が敷設されるまでの歴史を振り返ってみたいと思います。

明治42年12月、岩見沢町内で萬字鉄道期成町民大会が、町会議員など町内有志50人のほか空知支庁長や浅羽靖、東武の両代議士らも出席して開かれました。
大会では萬字鉄道速成の請願書の提出を満場一致で決定。羽靖、東武の両代議士の所見披露の演説も行われました。
石狩川支流の幌向川上流には、三井系の朝吹英二所有の鉱区がありましたが、明治36年に北海道炭鉱鉄道が鉱区権を買い取り、朝吹家の家紋の卍にちなんで萬字鉱山と名付け明治38年から開坑に着手。
萬字鉱山から岩見沢に通じる鉄道を計画し測量も行いましたが、鉄道国有で立ち消えとなり、止む無く萬字の石炭は高架索道で山越えをし、6キロ先の夕張へ搬出していました。 

その後、萬字鉱は開坑が続き増加し鉱員も増加し周辺に市街商業地が形成されました。更に、萬字道路も開削され入植が進み、群馬農場、古川農場、阪東農場などが作られました。
更に、明治40年には萬字道路沿いの志文ー滝ノ上間に馬車軌道が敷設され、三井物産所有の山林で伐採した木材の運搬が始まりました。        
                             続く