札沼線ー現・学園都市線 1

札沼線は函館本線の桑園駅から分岐して石狩川右岸を北進して留萌本線の石狩沼田駅に達する延長117.3キロの地方線のことです。
石狩川左岸は現在の函館本線が開通し利便性が高まっていましたが、右岸は橋もなく渡船のみで冬季や増水時には陸の孤島となることがありました。

「札沼線」は幌と(石狩)田から一文字ずつ取ったものです。新十津川駅 – 石狩沼田駅間廃止後に実態に合わなくなっていたことに加え、沿線に北海道教育大学札幌校や北海道医療大学など学校が数多くあることから、1991年(平成3年)のダイヤ改正時より一般公募によって学園都市線の愛称が付けられました。

石狩川右岸八カ町村の有志が明治45年、鉄道速成同盟会を結成。政府をはじめ衆・貴両議院に陳情、請願しますが採択には至りませんでした。

しかし、会長を新十津川村出身の衆議院議員東武として、改めて敷設運動を始めました。東武は明治22年、故郷の奈良県十津川村の大水害の時に村民を説得して現在の新十津川村を築いた功労者でもありました。更に、政友会の幹部党員でした。明治34年の第一回道義に当選し、さらに明治41年から衆議院議員を努め、大正12年開会議会では予算委員長に就任。この議会で石狩川右岸鉄道速成同盟会の請願が提出されます。予算委員長の東はこの請願を強引に採決しました。

ところが、翌大正13年5月の総選挙で与野党が逆転し憲政会内閣が成立。たちまち札沼線三年繰り延べが提出。ここで雨竜村の蜂須賀農場主の侯爵蜂須賀氏支援もあり工事は大正15年から八か年の継続事業と確定しました。

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