広尾線

帯広から南下して中札内ー大樹ー漁港広尾にいたる84キロ余の地方線です。沿線は南十勝の三郡四カ町村にまたがる大平原で、気候風土は農牧に適し、特に雑穀類の生産地です。

鉄道の話が持ち上がったのは明治33年に広尾村の有志によってが最初でした。釧路線の釧路ー帯広間が着工した年でした。その後、話は大きくなり日高実業協会とも進められ明治42年には、日高と十勝を結ぶ日勝鉄道期成会が結成されました。
翌明治43年に鉄道院による現地調査が行われましたが、日高山脈の山越えが障害となって広尾ー浦河間の道は遠いものでした。

しかし、大正12年帯広ー広尾間が決定しました。関東大震災が発生しましたが、大正13年6月から帯広ー中札内間の調査がはじまります。線路は広大な平原を通るので比較的容易に進められました。

帯広ー広尾間84キロの開通は昭和7年11月で、実地調査から8年5か月目でした。客貨混合列車で一日四往復。所要時間は2時間50分でした。

こちらでは、広尾~様似の観光があります。広尾町の失われた風景 (昭和40年)