渚滑線(しょこつせん)
名寄線の渚滑駅(紋別)から北見線滝ノ上までの34.3キロの国鉄が運営していた地方線です。
渚滑川流域の滝ノ上は肥沃でしたから、明治40年ころから団体入植者が増加していました。大正初期には雑穀の他にハッカや亜麻も作付けされましたが、生産物の搬出の手立てがありませんでした。
当初、渚滑ー士別間の鉄道敷設運動がありましが、大正4年名寄線で決定します。そこで、名寄線を渚滑から滝ノ上、札久瑠へと迂回させ、上興部を経由して名寄にいたる路線に変更させる運動が展開されました。
政治家をはじめ滝ノ上村全住民が政友会に入党し、その入党書を持参しての請願でした。
大正7年3月、議会で渚滑ー札久瑠間48.2キロが決定しました。これは名寄線の渚滑ー上興部の迂回ルートではなく単独線としてでした。
大正12年11月、渚滑ー北見滝ノ上間34.3キロが営業開始となりました。一日三往復の客貨混合列車で、所要時間は1時間でした。
1980年(昭和55年)の国鉄再建法施行を受けて、翌年9月に第1次特定地方交通線に指定され、1985年(昭和60年)4月1日に全線が廃止されました。