道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

釧路村 1965年(昭和40年) 14分 白黒 音声あり        

昭和40年に現在のSTVが北海道内に放映されたもので、釧路村とは、現在の釧路町のことです。

尻羽岬から始まります
釧路町の東側に位置する尻羽岬は、太平洋を一面に望むことができるビューポイントです。海鳥の群れが集まり、下を覗くと奇岩を呼ばれる珍しい形をした岩が映っています。昔から絶景の岬で、今は北太平洋シーサイドラインのコースとして観光の一つになっています。
しかし、この岬に行くには駐車場から距離があるので途中で挫折してしまいます。また、映像のような風景にお目にかかれるものではなく貴重な景色が映っています。
十勝の広尾町から根室市のノサップ岬まで、321㎞の海岸線を北太平洋シーサイドラインといいます。その中でも又飯時から仙鳳趾村までの40㎞が釧路町となり、雄大なカーブを描く美しい海岸線や奇岩など、難読地名も多く、特異な景観が続きます。

北太平洋シーサイドライン
沿岸地域は蝦夷の時代から昆布の産出地帯であり「クスリ場所」として栄えていました。
明治3年に佐賀藩の佐野孫右衛門が、秋田、青森から174戸(637人)の漁民を釧路村(現在の釧路市)、昆布森村、跡永賀村、仙鳳趾村(せんぽうし)に移住させ、家屋や漁船を給し漁業に従事させました。その先人の歴史が今日に引き継がれています。

漁業の村となり、当時の前浜では獲れるコンブが最大の収入源となります。
7月ともなれば、5時から船を出し9時までコンブ漁で賑わい、その後、浜は総出でコンブ干しが始まります。
また、沖合ではサケ・マスの定置網業で、これはヤン衆が総出で「網起こし」が始まります。網が大漁となれば、上げられないこともあったといいます。

和人の入植がはじまると海岸部だけでなく、山間部にも移住者が定着していきます。
明治23年には釧路の畜産起源ともいえる山県牧場が開設し、馬などの生産も始まりました。

釧路町の市街化地域は、区域の50分の1ほどしかなく、ほとんど森林で町の面積の4分の3が森林地域となっています。町は漁業だけに頼るわけにはいかず、昭和29年から内陸地に酪農経営を進めています。
牛、100頭を(牛乳・肉牛)、豚は1万頭を育てています。

森林は森林組合を作り、製紙工場用にチップの生産を行っています。

明治25年に仙鳳趾で炭山が開坑されて以来、別保地区を中心に大小14の炭坑が掘られ、釧路炭田の一翼となり、大規模な製紙工場も稼働し、鉱工業も次第に発展していきました。
石炭採掘は昭和初期の軍需景気でピークに達し出炭量とともに人口も急増しました。しかし、1940~50年代にかけて閉山が相次ぎ、人口も落ち込んでいきました。(1949年閉鎖)
ところが、昭和41年に太平洋炭鉱として始まりました。

くしろミンクを1万匹育てています。これは7か月で皮となり製品化される事業です。

釧路植物園
400種類の花卉を育て、道東一帯に出荷しています。

自衛隊
1965年(昭和40年)3月15日:別海分屯地が開設され、第3普通科中隊が移駐。

映像に映されている釧路町は以上ですが、これ以降(昭和40)に発展していきます。
映像には釧路原野としてありましたが、釧路湿原が「ラムサール条約登録」となるのは昭和55年のことです。

現在の釧路町は次の通りです。

釧路町は釧路市に隣接する地の利からベッドタウンとして人口が急増、とうとう1977年(昭和52年)に1万人を突破し、2019年には更に倍の19,626人 となっています。
まちの北西部は「釧路湿原国立公園」、南東部は「厚岸道立自然公園」に指定され、釧路町の市街化地域は、区域の50分の1ほどしかなく、町の面積の4分の3が森林地域となっています。世界的に貴重な釧路湿原と青く広がる太平洋を持つ豊かな自然に恵まれた町です。

釧路川は屈斜路湖に源を発し、日本最大の湿原である釧路湿原の中に入ります。
釧路郡釧路町の岩保木地点からは、人工河川である「新釧路川」となり、釧路市釧路港の東港区と西港区の間から太平洋に注いでいます。
高低差が少ないため一級河川には珍しく釧路川本流にはダムが設置されていません。夏季には全国からカヌーの愛好者が川下りのために訪れます。カヌーポイントはいくつかありますが、細岡付近の湿原地帯、塘路付近、屈斜路湖側の源流部分などです。