道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

訓子府(くんねっぷ) 1966年(昭和41年) 28分 白黒 音声なし

1966年(昭和41年)は、訓子府町の創建70年にあたります。映像は70周年を記念し祭りで涌いていました。

北見を開拓した移民団

明治30年5月、訓子府町に到着した移民団が開拓之祖としています。

「明治30年3月、四国の高地から112戸の移民団が、船にのって関門海峡、小樽を経由し、網走港に入港、当時人跡未踏の地であった、訓子府(北見)に入った」

北光社は坂本龍馬の甥、坂本直寛らが設立した団体で、信仰による自由な新天地の開拓を志し、片岡健吉と共に組織した合資会社です。
道庁に相談すると訓子府(くんねっぷ)原野を勧められ、オロムシ(現在の大谷地区)に入地したのが訓子府町の定住のはじまりでした。

市街地の映像に案内標識があり、北見まで17キロ、小利別まで20キロ。

 

 

田植えの風景
現在、田植えは機械化されているので、村人総出で田んぼに入り苗を手で植えていく風景は懐かしいものを感じます。半世紀前はこれが当たり前の風景でした。脱穀作業もあります。

運動会
学校の運動会は、町の一大イベントであることが良くわかります。子どもだけの運動会ではなく、大人も参加で熱気が今の運動会と違います。

役場
「訓子府開基70年」の立て看板が役場の庭に立てられています。
福祉に力を入れているようで、母子健康センターでは幼児の健康診断の光景が映されています。また、住宅の増築なのでしょう。
公民館では、歌声のサークルで若者たちが集まり練習をしています。懐かしい蓄音機が回り、ダンスやマイムマイムなどを男女が楽しく踊っています。

町の産業
酪農
⇒牛の放牧農場の映像で、乳を搾り⇒工場に運ばれていきます。
鶏卵⇒ヒヨコから育てており、卵を大量生産しています。
木材⇒森林でチェーンソーによる伐採⇒大木を束ねて⇒トラック輸送⇒製材工場へ
植林⇒置戸営林署訓子府苗畑事業所では植林の作業を行っています。
肥料工場⇒炭酸カルシューム肥料の生産をしており、一連の工程があり「袋詰めされ製品となり」トラックに積み込まれます。
農産物⇒馬鈴薯(トラクターで原野を切り拓き、畑をつくり馬鈴薯を生産)、玉ねぎの収穫作業は一つ一つを手で掘り起こしています。
稲の改良⇒北見農業試験場(道立)⇒「決5北育33号」の品種名で、稲の改良開発を行っています。

訓子府神社の祭り
 明治30年北光社移民団11戸が入植し、明治44年11月3日現在の境内地に小祠を創建鎮座しました。昭和15年幣殿を造営し、昭和16年12月22日村社に昇格、昭和17年1月神饌幣帛供進神社に列しました。
開拓者と神社・学校(寺小屋)は対になっています。これはどこの村も同じことでした。
明治33年、上常呂(現在の北見市上常呂)に訓子府尋常小学校を開設。

映像は、神社の祭りで「提灯行列」、パレード、子どもたちの神輿担ぎ、たくさんの出店、少年相撲大会などがありました。

祝・中学校開校20周年で街中のパレードがありました。
これは訓子府開基70周年に合わせて開いたものではないかと思われます。

訓子府町の創建70年の式典
会場で70周年式典の映像です。開拓者の表彰式があり、町長から「伊東弘祐」さんという方が受賞されていました。表彰状を見ると昭和41年10月1日でした。

70周年を祝って、街中ではいろいろなイベントが行われていましたが、最後は子どもから大人まで含めた「マラソン大会」と「仮装による街中パレード」でした。
仮装パレードは清水の次郎長に扮し子分たち一行が趣向を凝らしていました。
町民が心を一つにして70周年であることを祝っているように見受けました。

以上