蝦夷の時代14(和人地と和人の争い)を加えました。

武田信広は蠣崎と名乗ることとなりましたが、一族は以後代々名前に「広(廣)」が付きます。徳川幕府になり松前藩設立は五代目「慶広」(松前藩初代)で、以後松前藩は13代続き徳広で明治に入ります。

武田信広は蝦夷地で総大将となりましたが、北条執権から蝦夷地の実権を握っていたのは安東氏でした。武田(蠣崎)一族の蝦夷地における権力争いが代々続いていきます。