道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

白糠町 1965年(昭和40年) 13分 白黒 音声あり 

<躍進白糠>副題
釧路から西に28キロ・道東開発の基地白糠→釧路を支える産業都市

林業・農業・炭鉱の町

徳川家光、寛永の時代(1624~)ころから東蝦夷の交易地として「白糠運上屋」も設置され取引が行われていました。
1800年(寛政12年) 八王子千人同心、原半左衝門(原胤敦)ら50人が白糠に入植しました。
1857年(安政3年)
江戸幕府により、炭鉱開発が行われます。
1857年(安政3年)、箱館開港後の外国船舶用の燃料供給のため幕府によって白糠石炭岬に炭坑が開坑され、労働不足から1861年からは囚人も使い採掘していたといいます。
1884
年(明治17年) 白糠外六ヶ村戸長役場が開設されます。
大正4年
白糠村と庶路村が合併し、白糠村となります。
昭和24年
大楽毛地区が釧路市に編入され、昭和25年白糠町となりました。

白糠のはじまり
明治19年、福岡県から谷口という人が移住し農業に従事しました。この地は「農業発祥の地」とされ石碑が建てられています。
炭坑は尺別、雄別など数を増やし、第二次世界大戦時には全盛期を迎えます。
基幹産業となりましたが昭和45年までには相次いで閉山しています。

映像
林業→積極的に企業誘致に取り組んでいます。
   白糠製材工場では若者を雇用して合板の生産を行いっています。

農業→第10回家畜共進会の映像が紹介されています。(牛・馬)

炭鉱→白糠炭鉱の特徴を映像で紹介しています。人手を省き、機械化した炭鉱施設で生産性を高めています。
鉄路の白糠線が開通し、いよいよ躍進がすすみます。

祭り
祭りの映像があります。馬踊りは東北地方からの伝統の神楽のようです。

13分と短い町の紹介でしたから、釧路の補佐的な町としての白糠という印象でした。

写真は現在の白糠町で、道の駅しらぬか問恋で販売しているラムネです。