道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

様似町 1967年(昭和42年) 28分 白黒 音声あり  

昭和42年の様似町が映し出されています。

様似の地に和人が住居を構えるようになったのは、1635年に海辺川(うんべかわ)の東金山で採金が開始されたことが始まりでした。(しかし、これはシャクシャインの乱(1669年)後鉱山は閉鎖となります)
様似・幌泉両郡は油駒場所として蠣崎(かきざき)蔵人(シャクシャインの乱が起きた時の松前藩家老)が所有していましたが、その後1799年に幕府直轄領となり二分して様似場所と幌泉場所になりました

日高郷土資料館(昭和41年に作られた)
様似は蝦夷の時代、松前から根室に向かう中継点でした。
1804年に蝦夷三官寺として等澍院(とうじゅいん)が設置され、江戸から多くの往来がありました。エンルム岬(様似港)が映っており、かつては高田屋嘉平衛の辰悦丸なども立ち寄りました。
エンルム岬に作られた日高郷土資料館には、1630年代の松前藩によるアイヌの略奪や様似会所、等樹院の資料などが収められています。特に等樹院の建立は、北辺警備のために幕府が奨励した蝦夷地への移住、そうして定住する人たちの安住のためで貴重な資料となります。この寺は明治18年に廃寺となりましたが、現在場所は移動して復活しています。

開拓の鍬
明治維新後、東北・北陸の移民で開拓の鍬が下ろされます。
明治18年、青森県人の一家が来住、本業の狩猟の間に農耕を行いました。明治22年に海辺に石川県輪島の橋爪善蔵が数名を連れ農民として移住し、三年後には富山の漁民の移住でカレイ手操網法が伝わり、更に二年後には茨城から出稼ぎで来た漁民により、捕獲器でホッキ漁も伝わり漁業に活気が出てきました。
明治27年に富山県から20戸余が様似に移住します。農民の移住であったため漁業主体で顧みられなかった農業ですが、漁民にも農耕意識を与えることとなりました。
明治30年代には馬産が広まり、日高産牛馬組合も設立しています。

明治28年、様似川の支流、現在のアブサリで水上善之助が水田試作を始めました。これがこの地の稲作の始まりでした。明治30年代後半ごろから農業も軌道に乗り始め、大正期には土功組合も設立して水田も本格化しました。

桜祭り 観音山公園 (海抜83mの公園で5月はじめに開かれる春の訪れ)
春の訪れは観音山公園で始まります。展望台は標高90mから様似の漁港や街並み、エンルム岬、親子岩、アポイ岳などを見渡せます。
公園には車で気軽に頂上まで訪れることができます。祭りには、エレキギターも登場。桜祭りが終わると、いよいよ夏に入ります。


コンブ解禁(7月下旬)
様似の最大の資源(海の幸)は日高昆布です。船を浜に引き上げる風景は一家総出の仕事。そうして、船から乾燥場へは子供の仕事。2メートルの昆布絨毯は壮観な風景です。
船は夕方、港に帰り、荷揚げが総出で始まります。カレー・サンマ・タラなどが港の市場でセリにかかります。昨年の水揚げは3000万円でした。

酪農
昭和38年、町営の放牧場を設置し60頭の牛が離されています。山の傾斜地を利用した産業の開発が紹介されています。

合金鉄生
道内で唯一の合金鉄生が映っています。これは初めて聞く話で興味があります。
しかし、音声が良く聞き取れず理解ができませんでした。

アポイ岳に高山植物
アポイ岳は濃霧と特殊地質により、昭和27年に高山植物群落が国の特別天然記念物として指定されました。
標高810mで4キロの手軽な登山コースとして人気。山麓にはファミリーパークやキャンプ場も設置されています。
アポイ岳はユネスコ「ジオパーク」に認定され、標高810mの低い山が高山植物の宝庫になっています。

様似駅

様似駅前 遠くに見えねのはアポイ岳

様似町は苫小牧からの日高本線の終着駅で、2020年JR北海道の廃線・廃駅が決定しました。
しかし、映像ではえりもへの玄関口として、普段は750人の下車ですが、夏場ともなると一日2000人となります。そうして、様似駅からえりも岬まで30キロ・バスで約1時間の国道276号線が上空から映されています。
これは絶景で、人気がでるのも当然です。
えりも岬は多くの人で賑わっています。この観光客は20歳前後の女性7割ということでした。
森進一の「襟裳岬」が流行した昭和40年代には「様似駅」でバスに乗り換え、岬を目指す若者が年間40万人に達していました。

様似ダム
様似市街からダム湖まで約8キロ。
今は様似の桜の名所となり、キャンプ場として整備されていますが、当時は釣り糸を垂れる行楽の湖でした。

秋の鮭
船を出し網で獲る鮭の売り上げは7000万円でした。

秋の運動会
9月はじめの日曜日。2000人が集まる運動会ですから、想像がつくと思います。
田舎の運動会は、どこの町や村も同じでした。

 

                                以上