三木露風詩碑ー北斗市

「夕焼、小焼の あかとんぼ 負われて見たのは いつの日か」
の動揺「赤とんぼ」は、大正10年秋、三木露風が渡島当別のトリピスト修道院から眺めた光景をもとに作詞しています。昭和2年に山田耕作が作曲しました。

三木露風は27歳(大正4年)の時に初めて修道院に来て三週間滞在し、詩集「良心」を作り、象徴詩人としてスタートを切り詩壇に一時代を築きました。
大正6年7月に約一か月滞在し、9年5月から修道院講師を依頼され夫婦同伴で移住し、13年6月まで講師を勤めました。この間に数々の詩集を残しています。

山田耕作作曲の「野ばらの歌」の原型です。
「のばら のばら 蝦夷地ののばら 人こそ しらね あふれさく いろも
 うるはし 野ののばら のばら のぱら 賢き のばら 神の聖諭旨を 
 あやまたぬ 荒野の花に 知る教」

昭和46年、修道院の一直線の坂を上った右側に三木露風詩碑が建立されました。
修道院創立75周年を記念しての建立でした。

詩集「寂しき曙」の中の「呼吸」の一節が刻まれています。

 

日は輝やかに沈黙し 時はおもむろに移り行けり 美しき地上の 断片のごとく

我命は 光の中にいきづく

露風は、昭和39年12月29日に交通事故のため死亡、ときに76歳でした。