葛西善蔵文学碑ー芦別市新城町

葛西善蔵の文学碑は、芦別市の他に青森県平川市と栃木県日光市にもあります。

葛西 善蔵(かさい ぜんぞう) 
1887年(明治20年) – 1928年(昭和3年)
41歳で東京都世田谷区にて病死しました。

明治20年1月16日弘前市に生まれ、
7歳から15歳まで母の実家がある碇ヶ関に居を定めました。その後上京し長い無名時代の後、
大正7年に短編「子をつれて」を発表し文名を高くしました。大正から昭和にかけて私小説において名を高め、「私小説の神様」とも言われました。

「雪をんな」文学記念碑由来
積もった雪は股を埋めた。吹雪は闇を怒り、吠え、狂った。そしてまたゲラゲラと笑った。「どうぞお願いでございます。ちょっとの間この子を抱いてやって下さい。」/ この時、この世ならぬ美しさの、真白な姿の雪をんなは、細い声をしてこう言って自分に取りすがった。(小説「雪をんな」の一節より)