厚田村
厚田村(あつた)は、石狩支庁北部にあった厚田郡に所属していた村です。
2005年、北に隣接する浜益村と一緒に石狩市へ編入され「厚田区」となりました。
この村は、日本海沿岸に位置するため江戸時代(1706年)には松前藩によってアツタ場所が開かれていました。
明治に入ると大網元の佐藤松太郎が、漁業家長者番付の横綱におされるほどの勢力をもっていました。年中300人くらいもの飯食いを養っていたといいます。明治40年には道会議員もつとめ、厚田に電気を引いたり、公共のためには多額の寄付もしていました。
梅谷十次郎という江戸の御家人が箱館戦争に敗れ、行きついたところが厚田でした。この梅谷に育てられたのが座頭市の作家子母澤寛でした。祖父にあたる梅谷十次郎の胡坐の中で溺愛されて育たなければ座頭市は生まれませんでした。
現在の創価学会の基盤を作った戸田城聖(創価学会第二代目会長)も厚田です。
戸田記念墓地公園は第三代会長池田大作によって厚田に造られました。桜の名勝としても知られ、東京ドーム34個分に相当する広さがあります。すべてが同一規格の洋風墓地です。
大相撲の第43代横綱吉葉山は厚田がふるさとです。白鵬が所属する宮城野部屋創設者でもあります。十両昇進が目前だった1942年に召集され、戦地で銃弾2発を浴び、その内1発は貫通。もう1発は体内に残留したままでした。1946年に復員し1954年1月場所に15戦全勝で横綱になった人です。
この村は札幌から車で1時間ほどのところにあります。
現在、厚田区の人口は583 人ですが訪れるたびに新しい発見をさせてくれる村でした。
2018年4月27日、道の駅石狩「あいろーど厚田」が国道231号に開業しましたが、新しくなる前の「厚田村」について書いてみたいと思います。