明治9年<廃刀令と金禄公債証書発行条例の発布>
<廃刀令と金禄公債証書発行条例の発布> | |||||
この2つは帯刀・俸禄の支給という旧武士最後の特権を奪うものであり、 | |||||
士族に精神的かつ経済的なダメージを負わせました。 | |||||
<新風連の乱>(10月24日)熊本市で起こった明治政府に対する士族反乱 | |||||
<秋月の乱> (10月27日)福岡県秋月(現・福岡県朝倉市秋月)で起こっ | |||||
た士族反乱 | |||||
<萩の乱> (10月28日)山口県萩で起こった士族反乱 |
佐賀の乱
札幌の町を線引きした佐賀藩の島義勇は斬罪梟首となります。
明治維新に貢献した藩の藩士は新政府に対して不満が高まっていました。
多くの血を流した割には、廃藩置県により給与は無くなり、武士の命である刀は取り上げられると政府に対する批判でした。佐賀士族の間に不穏な動きがあるので、これを鎮めて欲しいという命令が島に出されます。
ところが明治7年(1874年)に郷里・佐賀を訪れた島は憂国党の党首に担がれ、江藤新平と共に佐賀の乱を起こすことになります。
結局敗れ、鹿児島まで逃亡。島津久光を頼り、大久保利通に助命の旨を取り次いでもらうが受け入れられず、同年3月7日捕らえられ、4月13日に斬罪梟首となりました。