地獄に通じるあな -余市町ー
北海道がエゾ地と呼ばれていたころ、余市のまちには、イヨチコタンというとても平和な村がありました。
アイヌの人たちは、魚をとったり、木の実や獣をとったりしては、仲良く分けあい、とてもたのしく暮らしていたそうです。
しかし、その中に、悲しそうな元気のない若者がいました。
「おら、もう死んだほうがええ」
と、毎朝、海の方を見てはつぶやいていました。
というのは、この若者には、とても綺麗でやさしい奥さんがいて、仲良く暮らしていたのですが、それが、つい一年前、この奥さんが流行り病で亡くなってしまったのです。
それからというもの、若者は体中の力が抜けてしまって、まるで綿のように、ふんわりぼんやりの毎日になってしまったのです。
「おい、しっかりしろよ。毎日、海ばかり見ていても、奥さんは帰ってこないじゃないか。そんなに海が好きなら、ひとつ気晴らしに漁にでもでたらどうだ」
と、仲間が声をかけてくれても、さっぱりやる気がでないらしく、
「おら、いい。そんな気にならんでな」
と、また、今日も誘いを断ってしまいました。
ある日、若者は、大きく広ろがる空を見ているうちに、いつの間にか眠ってしまいました。すると夢の中で、いとしい奥さんが手を振って笑いかけて、
「あなた、しっかりしてください。わたしのことなんか忘れて、海に出て働くのよ」
と、優しく声をかけました。
「お、おら、やるよ。海へ出るだ」
と、そのあくる日、若者は、張り切ってシリパの沖へ出て漁をしておりました。ふと、見ると、日ごろ人の近寄らない、岬のとび出た岩の下で、のりを採っている女の人がいます。
「おかしいな。あんな所で、ケガでもしているのかな」
若者が、心配になって近寄るってみると、何とびっくりしたことに、その女の人は、昨日夢にくで見た、忘れられない奥さんと、うりふたつです。それはもう、夢中で舟を漕ぎ寄せました。ところが、女の人は、逃げだしてしまって、どんどん遠くに行ってしまい、とうとう、オマンルパロ(あの世の入口)といって、人々が、日ごろ恐れて近寄らない洞窟の中へ、消えてしまったのです。
「ま、まってくれ。お、おらをひとりにしないでくれ」
と、若者が泣いて頼んでも、返事はありません。
とうとう若者は、我慢しきれなくなって、大声で奥さんの名前を呼びながら、洞窟の中へ、思いきって入っていきました。若者は、心の中で、きっと暗くてうすき悪い洞窟だろうな、と思っていたのです。
ところが、入ってみると、それはそれはまぶしいくらいに明るくて、先の方には村のようなものまで見えます。
「あっ、いた。待ってくれよ」
奥さんを見つけた若者は、それはもう、体中の力を出しきって走りました。
と、いつの間にか、見知らぬ村の中には入っていました。まわりをよく見ると、もう死んでしまった人ばかりです。そして、いました。一軒の家の中からおじいさんが出てきて、
「ここは、まだ、おまえの来るところではない。さっさと帰りなさい」
と、どなりました。
「お、お願いです。通してください」
と、若者がいくら頼んでもダメでした。聞くと、ここは地獄の村で、死んだ人しか入れない村だということです。
「お、おらも、仲間に入れてください」
と、懸命に頼んでもだめでした。とうとう若者は、洞窟の入口に追い返されてしまいました。
それからというもの、若者は、仕事も手につかず、毎日毎日、洞窟の入り口へやってきては、奥さんの名前を呼びました。
「おーい、お願いだ。おらを中へ入れてくれ」
いくら叫んでも、声は、むなしくはね返えるばかり。洞窟の口は、堅く閉じたまま、さっぱり開いてくれません。
そのうちに若者は、だんだん痩せて力がなくなってきて、ある日、とうとう死んでしまいました。
「あ、あなた、お待ちしていました。どうぞ、わたしの後に、ついておいでください」
若者が、息をひきとった時、大きな光が洞窟を照らしたかと思うと、いままで堅く閉ざされていた入口が、ぽっかりと開きました。そして、若者が思いこがれた奥さんの姿が、そこにあったのです。
きっと、若者は、奥さんとあの世の村で、幸せに暮らしたのでしょう。
この話がコタンに伝わってから、アイヌの人びとは、この洞窟を「死んでいく道」「地獄へつづく道」と、口々に言い伝え、決して近づかなかったそうです。