サンタロナカセ岬
小樽の高島岬を出発してから時計回りで沿岸の国道・道道を走ってきました。
現在亀田半島(道南渡島半島東)の旧恵山町に入りました。道の駅なとわ・えさんで一休みして、更に国道278号で次の日浦岬を目指します。
この国道278号は起点が函館駅前で終点が森町の国道5号の交差点で延長129キロありますが、この間にトンネルが12あります。最も長いトンネルは旧南茅部町から旧椴法華村の境にある銚子トンネル(1437m)でしたが、2番目がこれから通るサンタロトンネル(1355m)です。
サンタロトンネルを過ぎて、すぐに左折して道道41号に入ります。道道41号は、かつては国道278号線として利用されていました。昭和60年にサンタロトンネルが完成して278号となり道道となりました。豊浦町、大澗町、中浜町の生活道路となっています。
41号は岩盤くり抜いたトンネルが7つ連続しており「日浦洞門」と呼ばれています。絶壁の海岸線で、しかも岩質の性質上火薬を使うことができず、手掘りや削岩機で掘削し1929(昭和4)年に開通しました。
「サンタロナカセ」の民話
日浦洞門を越えて、柱状節理の海岸沿いにある奇岩のひとつでサンタロナカセ岩があります。『サンタロナカセ岩』の由来でもある民話伝説『佇て岩とサンタロ泣かせ』です。
“サンタロウは、タラ漁に出たまま帰らぬ息子を、嫁と2人、浜辺で幾日も幾日も待ち続け、そのまま岩になってしまう”という話です。
郷土には漁に出たまま帰らぬ人となった伝説や、漁船の遭難・救助の記録など数多く残されており、この海域を運航する大型船の遭難もあります。
中でも開拓使の初の大事業「札幌本道・現国道5号線の一部」開削の技術者・人夫、資材等を積んで明治5年東京品川を出帆、尻岸内村女那川沖で坐礁・沈没した『東京丸』(1,400屯)。
大正5年、尻岸内沖で座礁・廃船となった軍艦『笠置』。この2つの海難事故は政府を揺るがした大事件として特筆されています。