乙部岳(おとべだけ)
渡島半島に位置し、乙部町と厚沢部町の境界線上に聳える1016.6mの山。乙部町側は姫川が深い谷を形成し、厚沢部町側は急な崖になっています。
オトベとはアイヌ語のオ(川尻)・ト(沼)・ペ(川)で、川口に沼のある川という意味です。しかし、乙部川という名前の川はなく、姫川がその川だといいます。
というのは、乙部岳は伝説とロマンを秘めた山で、源義経が残す逃避行の足跡の話が詰まっています。
乙部岳のすぐ南にある九郎岳および、途中にある九郎嶽神社の「九郎」とは源義経のことで安政6年(1859年)の建立だといいます。
開山・松崎弥兵衛(現乙部八幡神社宮司・松崎家の先祖)は1月13日に渡道し山岳信仰の修験者(山伏)として九郎岳に入山。岩屋に祠を建て、厳しい修行に励んだと伝えられています
この地に奥州平泉から逃れた義経が、北海道、そして中国大陸に渡る際に立ち寄ったとされる伝説が残っています。
姫川の由来は、義経に逢えないことを悲しんで静御前が身を投げた川との伝説に基づき、姫待峠の由来も義経が静御前に逢えないで越した峠ということです。