米と魚
むかしな、シャモ(本州人)とアイヌがいっしょに漁場でかせいでいたころの話だ。飯時に、アイヌの漁師が、飯の食べ方になれないのか、飯つぶを食いこぼして、そのうえ平気でふみつけていた。それを見かねたシャモの連中が注意した。
「おお、もったいない。米は人の命をつないでくれる物で、仏様のようにありがたいもんだ。それをそんなにそまつにして、もったいないではないか」
「ほう? それはシャモの土地で言うことだ。アイヌのほうは、ふだんの食い物は魚だよ。米もうまいとは思うけど、まあ、おやつみたいなもんで、魚はありがたい神様だが、米はそれほどでもないからよ」
くやしいシャモは、また攻めた。
「では、そんなにありがたい神様みたいなサケの皮で(アイヌの靴のこと)作って履いているのは、どういうことだ。罰が当たらんのか」
「それでは聞くけど、シャモは米を一番ありがたがっているけど、ワラちゅうのは米の茎じゃないのかね」
「そのとおりよ」
「じゃ、同じことよ。シャモも米のワラでわらじを作って履く。おれたちはありがたいサケの皮のケリを履く」
また、言い負かされて、くやしくなったシャモの漁師たち、今度は知恵のある親方に問答させた。
「では聞くが、アイヌはクマをカムイ(神様のこと)と言って、たっとんでおるな。それなのに、カムイ(神=クマ)の肉を食うとはどういうわけだ」
「たしかに、わたしどもはクマを神様だと信じています。ですから、その頭の骨をおまつりして拝みます。でも、その肉は腐らすより、食べる方がたいせつにすることじゃありませんか。あなた方の神様のまつりを拝見しますと、神棚をかざり、お供えの品もたくさんありますが、みんなネズミに喰いちらされているではありませんか。まして御神体までかじられるくらいなら、カムイをアイヌが食う方がまし、と思いますがね」
串原正峯「夷諺俗話」より
蝦夷の時代、幕府の役人が蝦夷地で見聞きしたことをまとめた本があります。