キツネの丸太
そのころの岩見沢のトネベツの丘は、まだまだむかしのままのようすで、何千年何百年もたった原始林で、太い大きな木がしげっていました。その原始林もしだいしだいに開拓されてきました。
今まで、けものや、鳥たちのすみ家になっていた森の木は切り倒され、クマザサも焼きはらわれ、一かかえも二かかえもあるような大きな木の根もほり起こされて畑になっていきました。
森いちばんのナラの大木がありました。この木には、大きなうろがあって、キツネの一家が先祖代々住んでいました。そのナラの大木も、とうとう切り倒されてしまったのです。そのために、そのキツネのすみ家がなくなってしまいました。
切り倒されたキツネのすみ家だった大木は、あまり大きかったので、いくつかに切られ、根元のうろのあるほうだけが、教育大学前の、明治池寄りの小高い道路わきにどんと置かれ、いつか道ゆく村人たちのひと休みする場所になっていました。
しかし、その木にすみ家としていたキツネは、ときどき、森から出てきて、もとの自分のすみ家だったその木に休むことがありました。キツネはそんな時、その木を切り倒した村人をうらみました。また、今まで自分のすみ家だった木に休む村人や、旅の人をにくらしく思いました。
ある時、まちの医者が往診の帰り、馬に乗って通りかかりました。その時、キツネは、そのうろの中で休んでいました。あまり急なことでしたので、キツネは山に帰るひまがありません。いそいで木のうろの中に入って小さくなっていました。
この小高いところからは、西五丁目の道路がついていませんので、まちに入るには、神社の方へ向かって、野球場のひくい畑まで下り、ポントネ川をわたって、もう一度坂を登り、神社の前に出てからまちに入るのでした。
もうすっかり日は暮れていましたが、医者は「ここまでくればもう家についたも同じことだ。どれひと休みしていこうか」と、馬から下りて、この丸太にこしかけて休みました。
ひと休みした医者は、一服すると、また馬に乗って帰っていきました。
キツネは、その時ちょっといたずらをしました。
馬は、今来た道の方を走り、坂を下り、また、明治池を通りすぎ、登りきったところから左にまわり、ホテルの近くを右にまわって、またもとの場所に出てきました。
「どうして道をまちがえたのだろう。これはなんとしたことだ」と、医者はびっくりしました。いそいで馬をかえすと、また走っていきました。
ところが、馬は、もとの道を走っていきました。そして、ぐるぐると森をひとまわりして、また明治池の坂を登り、最初の場所にもどってきました。
「あれ、またさっきひと休みした所でないか。どうして何度も同じ所にもどってくるのだろう。ゆめでもみているのだろうか」
医者はどうしても家に帰れないのです。時間はどんどんたっていきました。
とうとう、馬のくらからクジラの骨でつっいた小田原提灯の火も消えてしまいました。
医者は、ほとほと困りはてて明治池の水門番人の家を起こしました。
「じいさん、じいしん。起きておくれ」
じいさんはびっくりして起きてきました。
「おや、先生どうされただ。さっきから馬を走らしていなさったのは先生さまかね」「じいさん。どうしても家に帰れないのだ。さっきから馬を走らせているが、どうしても同じ所に出てくるんだ」
「それじゃあ、キツネにいたずらされたのだろう。タロウー、タロウー、出てこい。一つほえろ」というと、後ろから犬が出てきて、ひと声大きく、
「ワン、ワン」と吠えました。
「さあ、先生。キツネも森に帰ったろう。わしがついてゆくで、いっしょに病院に帰りましょう。タロウよ、ついてこい」といい、そこからじいさんの案内で、神社の前を通って病院に帰ることができました。
その後もときどき、夕方おそくこの丸太にこしかけて休む人は、行き先がわからなくなるので、いつごろか村人たちは、「キツネの丸太」とよんで、この丸太にはこしかけて休まなくなりました。
そのかわり、小さな丸太をその前に置いて、その小さな丸太のほうに休むようになりました。そして、犬をつれていけばだいじょうぶ、だまされることはないといわれていました。
また、お供え物をしてから休むとよいともいわれており、よく供え物が供えてあったものでした。
※うろ=内側がからになっているところ