釧路湿原くしろしつげん丹頂鶴たんちょうづる

丹頂鶴のことをアイヌはサロルンカムイ(湿地にいる神)という。

昔、手負の熊が湿地に逃げ込み、息たえて倒れるときに、一羽の鶴を下敷にして死んでしまった。下敷きになった鶴は、苦しさのあまり鳴き続けたので、村人が集まってきてみたら、一頭の熊が死んでいたので、熊の居場所を知らせた神として祭りあげサロルンカムイと呼んだ。

この鶴は昔から野生ではなかった。アイヌの祖先キラウコロエカシ(角を持った長老)が雄雌おすめす二羽の鶴を飼っていたが、孫のカネキラコロエカシ(金の角を持った長老)のだいには数多くえておった。

その時代とき千島ちしまのクルンセ族が国後くなしり根室ねむろおとし入れ釧路にせめてきたので、厚岸、北見、十勝の部落からも援軍が参戦して激戦となった。
この時、不運にも味方から裏切り者が出て、手薄になってたとりではたちまち攻め落とされてしまった。

いつも湿原で遊んでいる鶴が、夕暮ゆうぐれ砦に帰ってくると、砦を占領せんりょうしていたクルンセ族は手当たり次第に矢を放ち射落いおとし殺して食べてしまった。

砦のちた知らせに、釧路軍は兵の主力を返してクルンセ族を追い払って砦を取り戻したが、いくさが三年もの長きに続いたので、ついに鶴は砦を恐れてこなくなり野生化してしまったということです。

更科源蔵 アイヌ伝説より