道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

尚、このCDは現在「北海道立図書館北方資料室」にあります。
私が借りた時は「北海道立文書館」でしたが変わりました。

 

利尻・礼文 1968年(昭和43年) 30分 白黒 音声なし

30分を二つの島の観光案内として紹介している映像です。おそらく、現在も大きくは変わることのない島の風景が映されています。音声が無いのとカラーでないことが実に残念です。二島とも自然の野花が随所に登場しているのと、どこからでも利尻富士が背景に映し出されています。

稚内港からフェリーで利尻の鴛泊(おしどまり)に向かう観光客。リックを背負った若い女性客が圧倒的に多いのが特徴です。
稚内市から西方約53Kmの日本海に浮かんでいるように見える島、島の中心に秀峰利尻富士(1,721m)がそびえたっています。 春から夏にかけては、数多くの高山植物が咲きリシリコマドリをはじめ多くの野鳥がさえずる自然の宝庫です。
稚内からフェリーで1時間40分。

  • この映像は昭和43年に公開された点に注目する必要があります。というのは、利尻島は現在西と東に行政が分かれており、島の東半は利尻富士町、西半は利尻町です。観光バスが立ち寄る場所がどこなのかを理解しておいた方がよいでしょう。
    利尻富士町・利尻島の地図

    尻島の成り立ちは次の通りです。
    明治9年、鷲泊・本泊など6ケ村を統括し宗谷に区務所が置かれ、鷲泊に戸長事務取扱所を置いたのが利尻島の自治の始まりでした。
    明治10年から漁業が盛んになり、明治20年には漁業組合も設立。2年後に山形県漁民が鬼脇でタラ釣漁をはじめ、これがこの地でのタラ釣漁の始めとされています。
    明治17年には、利尻・礼文各村が恵喜丸に補助金を出し定期航路を設定。
    翌年から札幌県の補助により小樽・増毛・天売・焼尻・利尻・礼文の定期航路を開設させました。
    昭和に入り鬼脇・鷲泊港を竣工し、昭和31年鬼脇・鷲泊が合併し東利尻村となり、3年後に町制施行になりました。
    昭和37年、利尻空港を開港。
    昭和40年、利尻・礼文国定公園、5年後カーフェリーが就航、漁業と観光の町として充実を図ってきました。1990年(平成2年)、開基110年を機に利尻富士町と改称しました。
    音声が無いので、到着した港がどこなのかが不明です。時代からして鴛泊(おしどまり)港ではないかと思いますが。現在は鴛泊港(利尻富士町)と沓形港(利尻町)から、稚内及び礼文島へのフェリーが就航しています。

鴛泊(おしどまり)港に到着後、観光バスは沓形市街地に入り役場(現・利尻町)を通り、利尻電気を発電しているタービンを紹介しています。
次に、海岸沿いにたくさんの小船が浮かんでおり、何をしているのかと思えば「コンブ採り」でした。船を足で操りコンブの根近くに竿を絡みつかせて船に引き上げます。ご存じ「利尻昆布」で、浜で待つ女性たちは総出でコンブ干しの作業となります。
同じように、今度はウニの水揚げです。こちらは浜で待つ女性たちは「ウニを割っての取り出し」作業です。

観光バスの車窓から

利尻島の西海岸、奇岩の観賞・撮影スポット。大きな熊が沖に向かって寝転がっているように見える「寝熊の岩」と、人の横顔に見えることから名づけられ「人面岩」があります。
今は無くなりましたが「利尻町立のユースホステル」も写されています。
そうして、利尻町の新湊小学校第五学年を、明治42年に終業している時雨音羽(本名池野音吉)の「出船の港」歌詞の碑映像です。

山田重佐久の墓が映されています

文化3(1806)年に、ロシアによって樺太や北海道で略奪や番屋が襲われる事件が起きました。文化5(1808)年に幕府は宗谷(現在の稚内市)と樺太、利尻、松前へ1,633人の会津藩士を派遣します。
そのうち、半数を占める745人が樺太隊として派遣され、利尻町の沓形種富(くつがたたねとみ)町には、樺太警備から帰る途中に暴雨風雨に巻き込まれ利尻島に漂着した「観勢丸」がありました。この船に乗っていた会津藩士の諏訪幾之進光尚と山田重佐久の墓があります。

北見富士神社祭り

北見冨士神社の始まりは、享保年間(江戸時代)沓形港の西の岬に創祀したと伝えられています。
北国の富士山とも呼ばれる利尻富士がそびえる利尻島で、漁場の鎮護として祀られました。町民が一丸となり参加する例大祭(6月25日)では、特殊神事である「松前登城奴行列」と「四ヶ散米舞神事」が最大の見所。
沓形エリアは熱気に包まれます。

下船の風景

またまた観光客の下船です。定期観光バスに乗車して市内の車窓や町役場などを走り、利尻島で一番の人気と言われる観光地「オタトマリ沼」に到着。沼と利尻島が絶景の風景です。
沼でのボート、キャンプ(テント)、自炊などなど

港でテープ・テープ
昔懐かしいテープカットの風景です。青函連絡船を思い出します。
おそらく港は鴛泊港なのでしょう。観光客を見送る島の人たち。

港に到着

観光客の下船。日本最北端の島「礼文島」です。観光バスに乗車して出発。

街中を通って沿岸を走り洞穴のようなトンネルをくぐり、久種湖くしゅこ)へ(「湖」と名の付く中では現在日本最北端の湖)⇒「スコトン岬」(礼文島の最北端に位置するのが最果ての岬)⇒浜辺で拾い⇒海水浴⇒礼文島にある奇岩の一つ「地蔵岩」⇒香深(かぶか)港の高台、高山植物群落にある「桃岩」展望台⇒港へ

港での見送り(テープカット)