道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

中頓別町(宗谷の宝庫) 1965年(昭和40年) 13分 白黒 音声あり   

町名の由来は、アイヌ語のトー・ウン・ペッ(湖から出る川)からで、頓別川の中流に位置するため「中」が冠してあります。 
明治30年に北海道国有未開地処分法が制定され、3年後に中頓別地区の区画策定がなされましたが入植希望者はありませんでした

ゴールドラッシュ
明治31年、頓別川で砂金が発見されます。パンケナイ川で豊富な砂金が見つかったことを皮切りに人が集まりはじめました。更に、ペーチャン川でも砂金田がみつかり翌年には5000人の村となりました。最盛期には枝幸郡には1万人もの人が入り込んだといわれています。
役所では人が住み「農業ができるように」と土地を準備。中頓別の開拓はこうして始まりました。しかし、明治32年をピークに砂金は衰退していきます。

皆既日食
昭和11年6月19日、中頓別町で皆既日食の観測や実験が行われました。
現在の中当別小学校のグラウンドで行われ、村始まって以来の歓迎となりました。観光を兼ねて、外国からも人が集まり興奮する様子が映されています。

中頓別鍾乳洞
この鍾乳洞の映像があります。現在も中頓別町の観光地になっていますが、当時も見学に訪れる人たちに説明と、洞窟の中を紹介する風景が映されています。
中頓別鍾乳洞は1933年(昭和8年)に、馬方が吹雪を避けるために退避した際に発見されました。
1938年、文部大臣より天然記念物に指定され、その後制度変更で、1958年北海道指定天然記念物に指定されています。4洞穴を有し、北海道の鍾乳洞では北海洞が発見されるまで第一洞が最長でした。
日本最北のカルスト台地に位置し、貝殻由来の石灰岩の融食により形成されており、日本国内では希少と言われています。

産業
地下資源が豊富な町のため企業の誘致活動が活発に行われています。
町は森林ですから、木材の町でもあります。
中頓別営林署では、苗づくりとしてトドマツ・カラマツを育て、30㎝くらいに成長してから山々に植樹しています。
昭和36年に農業改善指定をうけます。更に昭和42年には農業行動改善指定をうけ、本来の馬鈴薯から近代的農家への歩みを酪農としてスタートしています。
森永乳業の工場が進出し、毎日の乳牛を集め乳製品の加工がおこなわれます。

教育
小学校は校長を含めて3人の教師ですが、町は「教育の町」を提唱しています。
高校は実践を重視し、男性は「トラクターや自動車」の修理ができるレベルまで教えています。女性は料理教室で食べ物の実践教育です。
昭和35年に町に「自動車学校」が出来ました。町ぐるみで免許取得に懸命です。
砂金から酪農を中心にした町への転換を進めており、森林原野の開墾のためにもトラクターの運転は必須となっています。

                              以上