道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

上富良野町 1965年(昭和40年) 28分 白黒 音声あり 札幌テレビ放送 

冒頭に登場するのは松浦武四郎の日誌でした。

「ここより望むるに 東はビエの麓三里あり 西はソラチの山々まで およそ十二・三里 南北は五・六里のあいた目に遮るものなき原なり 一封内をなし 地味山に回るゆえ 暖にして内地に比すれは相応の1ヶ国と思われる」
                       十勝日誌より 松浦武四郎

この文章は、安政五年(1858年)、幕府御雇(箱館奉行支配)となった松浦武四郎が蝦夷地内陸部の山川地理調査を目的として、石狩からチクベツ(現在の旭川市)を経て美瑛川筋を上って空知水源に入り、上富良野を通って十勝へ向かう途中、4月23日、フウラヌイの川を越えて当町の日の出地区とおもわれる個所のレリケウシナイという小川の縁で一泊したころに日誌に書き留めた文です。

十勝岳の大噴火

「土の館」スガノ製作所にある噴火時

大雪山系の中で南部に位置する十勝岳連峰は、主峰十勝岳(活火山)2,007mの他、富良野岳・三峰岳・上富良野岳・上ホロカメットク山・美瑛岳・美瑛富士と2,000m級の山々が連なっています。
大正15年(1926)5月24日。2度にわたる大規模な水蒸気爆発によって火口が崩壊し、高温の岩屑なだれが周囲の積雪を急速に溶かしながら大泥流となって山麓の集落を襲いました。そのスピードは驚異的で、2回目の爆発では1分未満で火口から2.4kmの鉱山事務所に、25分余りで25㎞先の上富良野原野に到達したほど。これにより、死者・行方不明者144人という大災害となったのです。
十勝岳では昭和37年(1962)にも大規模な爆発的噴火が発生。死者5人・負傷者11人の被害となりました。大正15年5月の十勝岳の噴火の様子が語られています。上富良野の人たちは、開拓前の姿に引き戻されました。

1965年の上富良野町人口は18000人
人口の半数は農業従事者。街中に自衛隊の駐屯地があり、毎年11月には自衛隊による祭りが街中をパレードして歩く風景が映されています。
上フラヌ原野に植民区画が開放されても、交通の不便から開拓が遅れていました。
ところが、十勝線の工事開始と旭川村市街地の発展が大きな要因となり、入植者に人気が高まり団体移住では三重団体が225万坪の貸し下げを受けて明治30年に50戸ほど移住しました。
団長の田中常次郎は既に渡道していた板垣義夫を頼りに団体を上富良野にまで進展させた人物で、その後村会議員などを歴任しました。
その後、島津富次郎名義で管理人江田信哉が富山・石川県人を25戸募集し開墾を始め、明治30年に開かれた田中農場は約30戸小規模ならが島津に次ぐ優良農場で、開墾に熱心なフラヌ原野の草分け的農場となり当初は弟米八が経営し、後に亀八も移住しました。
いずれも自然環境にとまどいながらも開拓を進め、明治39年のエホロ植民区画地の開放もあり、耕作地は着々と拡大していきました。
明治33年(1900年)には富良野線が開通、上富良野駅も開業しため市街地が発展していきました。
明治36年に富良野村が上富良野村と下富良野村に分立したため、役場から遠い中富良野地区に分村の動きあり、大正6年に分村しました。
入植した人たちは、米どころの農家の人たちが多く泥炭地の土地改良に努め、稲刈りの風景が映し出されています。更に、畑作では馬鈴薯、アスパラガス、そうして「ビート」でした。
このビートが上富良野の生産を高めることになったのが菅野農機具製作所でした。(町には現在土の館として、当時の菅野農機の歴史が保存されています)
菅野の農機具が畑を耕す風景が映し出されています。これも貴重な映像でしょう。
大正15年十勝岳の噴火で死傷者を出し田畑・牧場も大きな被害を受けましたが、義損金などにより復興、昭和26年に町制施行となりました。

ラベンダー
昭和23年に曽田香料(株)の委託栽培で始まったラベンダーは、7月には畑一杯に咲き誇ります。ラベンダーは化粧品やオイルの原料として本州に出荷します。
ホップ
ビールの原料としてホップの生産を行いビール工場に運ばれています。珍しいホップの花の切り取り作業風景が映されています。
アスパラとスィーコン
9~10月にかけてアスパラガスとスィートコンの収穫で、これはティジー食品工業㈱と直結しており、安定した収益となっています。
酪農
600頭の牛を放牧しています。雪印乳業と連携し110か所から絞った乳を集めて工場に運ばれ検査を済ませると、2日に一度旭川に運ばれています。
農耕馬
昭和40年の映像ですが、農耕馬の競市風景です。旭川方面からもセリに参加しています。馬喰が存在していたのでしょう。

上富良野町森林組合
植林用の「カラマツ」「トドマツ」の苗を育てています。これはこの時代の北海道では他の町でも行っていました。
北海道は森林が多く、伐採した大木を製造工場で建材用として商品化しています。町には3社工場があります。
伐採するだけでなく、植林を行い30年間で何回も間伐を行いながら育てているといいます。

深山峠(みやまとうげ)
国道237号は美瑛と上富良野の境になります。この峠からの十勝岳の眺めが観光のはじまりです。昭和40年の峠が映っています。

上富良野から登る十勝岳コースは人気の観光コースで、上富良野駅からバスがでており、バスで上っていく景色が見れます。十勝岳国民宿舎まで行きます。
富良野盆地を一望できますし、十勝岳でなく美瑛岳・富良野岳なども見渡せます。今も昔も人気のコースです。
また、映像では冬の十勝岳が映されており、スキーで原生林の間をすり抜ける珍しい景色もあります。
四季を通して十勝岳観光を楽しめると謳っています。

写真は現在の上富良野町日の出公園です