北の春いくたび

登場人物

父・森岡常三郎→大工職人の父・儀一郎47歳の時の子。明治20年に末っ子として十津川村谷瀬の生まれ。谷瀬(たにぜ)は秘境といわれる日本最長の生活用鉄線の吊り橋があるところ。
母・まん→明治25年、泉谷由若の7女で十津川村谷瀬生まれ。明治41年大和新団体に入植した。
明治44年2月10日結婚。常三郎24歳、まん19歳。上4人が女、下3人が男の7人の子供に恵まれるが長女は生まれて1年3か月後に亡くなった。
植田ハル→1917年(大正6)、4女として誕生。
森岡武雄→1925(大正14年)、次男として誕生。この本の作者。

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十津川村

常三郎は尋常小学校6年を終えると十津川郷の字込の上にある文武中学に通った。しかし、中学2年で退学して大工になる。理由は中学を出て勤めをするよりも自分で大金をつかむ仕事をしよう。
それにはどうするか、と考えて「北海道に行けば五町歩の土地がもらえる。まさしく大金をつかむ夢だ」そのためには、学校をやめて働こう。常三郎は金を貯めて北海道に行き、五町、10町の土地を持つ大地主になる夢を描いた。当面は、野良仕事をして15歳になった兄について大工を習い、修行をすることにした。

筏流し

ところが、見習いを初めて半年後に、かんなで手を切るという事故をおこした。その時の兄の仕打ちに腹をたて家を飛び出した。
大工見習はわずか6か月だったが、カンナとノコの使い方以外は教えてもらえなかったが、家を建てる図面の書き方、柱や桁の墨付けなどはすっかり覚えてしまった。
家を飛び出して、顔見知りの「いかだ流し事務所」で事務員を2年余やり、準備をしていた。

常三郎の大工経験は短かったが、二階建てや三階建て、さらに木製の橋の設計もできる腕をもっていたので、開拓に入ってから希少価値を持ち大いに助けられた。常三郎は北海道行きを決意すると、まず北海道に慣れるために新十津川に住む叔母の所に一秋収穫を手伝うことで出発した。

明治38年9月、18歳の単身渡道だった。
叔母は明治22年に現在の新十津川トップに入植していた。滝川駅に向かえにきてくれていた叔母は、駅前に馬車で来ており荷物を乗せて一緒に乗り込んだ。馬車は石狩川橋を渡りはじめると「この橋は3年前の8月にできたのよ。北海道ではまだ2つ目の橋で、石狩川に架けられた橋でははじめての鉄橋、長さは548尺(166メートル)もある」「この橋ができるまでは渡船だった。風が吹いて波がたったり、雨が降ると危険で船がひっくり返って死んだ人もあったわ」

常三郎は独身だったので、道庁から土地の貸付を直接受けることはできなかった。西垣太郎兵衛名義で貸し付けられた土地を便宜的に借り受けたのだ。
西垣は十津川郷の字高津に住んでいた。

明治35・36年と不景気が続き、山林以外に経済基盤のない十津川村では十数年前(明治22年)に新十津川に集団移住した先輩のあとに続きたいという気持ちが高まっていた。

写真は現在の奈良県十津川村です。
主人公が旅立つときに、今は秘境といわれる谷瀬に、まだ吊り橋はありません。