雨上がりの朝

雨上がりの旅館前から
水彩画 横240×縦270

どしゃぶりの雨の日の翌日は晴天でした。朝早く旅館の玄関に出てみると、そこは小涌園でした。

お正月の箱根駅伝、箱根湯本から登り坂となり小涌園の急カーブがテレビ画面に映ります。
玄関を出て道路を渡ると小涌園の看板があるので分かりました。
泊まった旅館はカーブを曲がって少し登ったところにありました。

旅館の人に聞くと向かいの小涌園ホテルは工事中でした。このホテルは大人数の宿泊が可能で、企業研修や大宴会に良く利用されていたのを思い出しました。

昭和37年、この小涌園ホテルに10数人の商業経営者が集まりました。主催したのは元読売新聞社の商業コーナーを担当していた元記者。全国の小売業を取材した中から選抜した経営者を集めていました。

主婦の店・中内功(後のダイエー)、北千住呉服屋・伊藤雅俊(後のイトーヨーカドー堂)、四日市呉服屋・岡田卓也(後のジャスコ・イオン)、天神橋筋で衣料品販売の西端行雄(後のニチイ・マイカル)たちでした。

昭和40年、これらの企業は一斉に大学生を大量採用。そうしてスーと現れパーと消えると揶揄されるスーパーマーケットが全国に出現しました。あれから半世紀を過ぎ、日本の町はどこに行っても見覚えのある看板が溢れるようになりました。

明治16年創業のちいさな旅館が、雨上がりの朝日の中でひと際大きく見えました。

雨上がりの朝